ゴシラン

走ることについて語ります

先祖返りの国へ

2005年から2015年ぐらいの間にロードバイクに乗っていた方は、一度はこの方の名前を聞いたことがあると思う。

その名は。

 

エンゾ・早川

 

毒舌調の文体で自転車雑誌に記事を書いていたり、書籍を出していたりしていたのだが、あまりの毒舌ぶりが仇になったのか、2015年ぐらいからは自転車雑誌にその名を見かけることはほぼなくなり、完全に出版界から干されてしまったものと思っていた。

 

そんなエンゾ氏が、日本文化や日本人の身体感覚を研究しているエバレット・ブラウンさんとの共著で(というか対談本という形だが)、去年さりげなく本を出していた。

冷やかし半分で立ち読みしていたら、思った以上に面白い本だったので、ついついうっかり買ってしまった私なのであった。

 

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「フォアフット走法=和の走り方」

「日本人はLSD(ロングスローディスタンス)民族?」

などなど、ランニングを趣味にしている人間にとってはなかなか興味深いことが書かれている。

 

特にウルトラマラソンを走る人にとっては、共感できるようなことが書かれているのではないでしょうか。

ウルトラマラソンなんて、はっきり言ってフルマラソン以上に健康に悪いものだと思うのですが、「自分の限界を越えた先に見えてくるものを見たい」というのはわかりますね。

私の場合、2年前のサロマ湖100kmマラソンで、80kmまではただただひたすら辛かったのですが、80kmを過ぎてワッカのお花畑が見えてからは、肉体の限界を越えて、新しい世界が見えてくるような感覚がありました。

村上春樹氏の著書から言葉を借りると、「スーッと抜けた」感覚ですかね。

大げさな言い方をすると、一種の悟りの境地に達したような感覚。

なかなかこの感覚を言語化するのは難しいですが。

ウルトラマラソンに「ハマる」人は、一度はこういう経験をしているのではないかと思います。

 

 

今回の読書で一番印象に残ったところを引用

(対談引用中の「B」はブラウン氏、「エ」はエンゾ氏)

 

B:僕の鍼灸の先生は、ものすごい身体感覚と知識の持ち主なのですが、彼はそれを自分が健康になるためには使っていないのです。

エ:真理の探求、あるいは「悟り」を得るために使っている。

B:そうです。それで、その真理の探求は、必ずしも健康にはつながっているとは限らないんです。むしろ健康を害さなければ得られない真理もある。病気や障害の向こうに、より豊かな世界が広がっていることもある。

 

この部分を読んで「そうだ!その通り!」と思えるような頭のおかしい方は「変態」の素質があります。

もちろん、私も頭のおかしい人の一人です。

ウルトラの世界は、タイムなどの数字を越えた「悟り」の世界への扉を開くためにあるのではないでしょうか?

肉体の限界を越えて、エゴを消滅させ、思考と肉体が分離して、「私」という概念が抜けたとき、晴れた日のワッカのようなお花畑が脳内にパーッと広がって、そのまま三途の川を渡ってしまうのではないかという「ヤバ気持ちいい世界」を一度体験すると、もう「普通の」ランナーには戻れなくなります。

 

我々が「常識」と思っているものを超えたところに「真理」はあります。

 

さようなら。