4連休。
とは言え、私は仕事の都合上、休みの日であろうが、月の半分は携帯一本で会社に呼び出される身分なので、ほぼどこにも行かず、近場をちょろちょろと走って過ごしておりました。
普段は早朝に走ることの多い私ですが、寝坊したり、雨が降ったり、会社に呼び出されたり色々あって、夜ラン。
ライトアップされた釧路川もいいものです。
毎年、釧路のこの時期は「霧フェスティバル」なるお祭りが開催されるのですが、今年は新型コロナの影響で中止。
しかし、祭りでもないのに謎の花火が上がっていたりして、ちょっとでも祭り気分を市民に味合わせようと、どっかの有志が上げてくれたのかしらん。
本来であれば、今週末は「オリンピックウィーク」になってたんだなあと思いながら、図書館でオリンピック関連の小説を借りる。
「奔る男」は、日本マラソンの父で箱根駅伝の創始者である金栗四三氏の物語。
金栗氏が選手として、3度のオリンピックでフルマラソンを走ったレース中の様子が中心の内容です。
ただ自分が走るだけではなく、「日本のマラソンが今後強くなっていくためにはどうすればいいのか?」と、日本スポーツの黎明期ならではの苦悩が書かれています。
我々市民ランナーが、現在、お気楽に大会を走ることができるのは、こういう先人達の努力があってこそのものだということを忘れてはなりません。
「オリンピックの身代金」は、1939年の東京オリンピック中止を求めるテロリストと警察組織との戦いの物語。
「戦後の復興したニッポン」を海外にアピールするために、スタジアムなどの施設の建設でどれだけの犠牲になった一般市民がいたことか。
オリンピックは一体誰のため、何のためにあるのかと、色々考えさせられる内容でありました。
「奔る男」の中で、「結局、マラソンは常に誰かと一緒に走る競技」というフレーズが印象に残りました。
わたしゃ、普段はひとりで走っていますが、大会になると「本番パワー」が発揮され、普段は絶対走れないペースで、長い距離を走ることができるのは、間違いなく「一緒に走っている誰か」の存在です。
「集団でペースを合わせて」協力することにより、普段よりラクに走ることができ、「集団に負けたくない取り残されたくない」という気持ちで、普段より諦めない気持ちで走ることができ、ひとりではできないことを成し遂げることができるのが、マラソンという競技の不思議なところであると思います。
「マラソンは誰かと一緒に走る競技」ということを特に意識したのは、去年の今時期、浜頓別町で行われた「北オホーツク100kmマラソン」でしたね。
道北では珍しい、真夏日に近い暑さの中、「共走ランナー」と一緒に話しているうちに、それまでとてつもなく心身が苦しかったのがスーッと抜けていったり、一緒に走っていなくても、数百メートル離れたところから「〇〇さーん!」と声を限りにして応援してくださるエイドのスタッフさんとか、多くの方々のおかげで、前月のサロマの疲れが抜けない中、100kmという距離を走らせていただいたと思っております。
今は残念ながらマラソン大会は開かれていない状況ではありますが、それでもSNSやブログ等で、多くの仲間達が頑張っている記述を見ると、「大会はないけど、私はひとりで走っているわけではない!」と、朝4時起きでひとりで走るのもさほど苦にならない今日このごろなのであります。
また、明日からもそれなりにやれることをやっていこう。
ひょっとしたら、このブログを励みにして、日々のトレーニングを頑張っている人もいるかもしれないのだから。
さようなら。