ゴシラン

走ることについて語ります

続けるということ

しばらく大会もなく、かつ、毎日同じようなことをしている変化のない生活をしているので、ブログネタもない今日このごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

ネタがないということで、今回は自分語りなどしてみようと思います。

それは私が幼稚園時代のころまでさかのぼります。

 

「三つ子の魂百まで」とは言いますが、私は昔から、人と交わることを好まず、一人で遊んでいるのが好きな子供でした。

私は3人きょうだいの真ん中で、幼稚園入園にあたり、普通に社交性のある姉と妹は「一年保育」でしたが、さすがに親もあまりの私の社交性のなさに「このままではマズい」と思ったのでしょう。

私だけが「二年保育」で幼稚園に預けられることになりました。

 

さて、姉や妹よりも一年早く幼稚園に入園した私。

いきなり集団生活の適性のなさを遺憾なく発揮し、誰とも友達にならず、勝手に教室を抜け出したり、半分ぐらいはズル休みをしたりで、何のための二年保育だったんだというぐらい意味のない幼稚園生活一年目だったようです。

 

そんな私が幼稚園生活二年目を迎えるにあたって、以下の言葉を知りました。

それは

 

「皆勤賞」

 

という言葉です。

 

親に言われたか誰に言われたかは忘れましたが、「幼稚園休まなかったら賞がもらえるんだよ」と言われ、なぜだかさっぱりわかりませんが、このとき生まれて初めて私の中で「やる気スイッチ」が入ったようで

 

「石にかじりついてでも幼稚園に行く」

 

と固く決意してしまったらしいです。

今思えば、なんて無駄な決心だったんだと思いますが、何も知らないということは純粋で美しいことなのです。

 

で、幼稚園二年目。

さすがに毎日真面目に幼稚園に行っていると、少ないながらも友達ができるようで、それなりに楽しく過ごしていたのではなかったかと思います。

ただ、そのとき仲の良かった友達とは、中学や高校で再会することになりましたが、中学高校ではちっとも仲良くなることがありませんでしたがな。

魯迅の小説「故郷」ではありませんが、昔、仲の良かった人も、色々と取り巻く状況が変化するとそうも行かなくなるのでしょう。

世の中諸行無常なのである。

 

とにもかくにも、幼稚園二年目は水ぼうそうでの出席停止以外は、毎日熱心に幼稚園に通う模範的な園児に変わり果て、無事「皆勤賞」をゲットしたのであったが、そのとき賞状とかそういうものをもらったかどうかの記憶は定かではない。

ただ、子供心にも「何かを続けてやり切った!」という達成感はあったのではなかったかなあ。

 

紙切れやモノなんかよりも「一年間通して幼稚園を休まなかった」という自分に対する自信を得られたことが、一番のギフトだったと思います。

(余談になりますが、子供のころからそういう考えだったので、マラソン大会でも「記録証」や「メダル」などの紙切れやモノは速攻で捨ててしまう私です。私の中で重要なのは「走り切った」という自信を得たことなのです)

 

ということで、私は5歳にして

 

・やる気スイッチが一旦入れば、物事を続けることができること

・続けると達成感が味わえるということ

 

の2つを学んだのではないかなあと思います。

 

私は幼稚園時代、足が遅すぎて、鬼ごっこで捕まっても鬼にならない「おみそ」扱いと、みやすのんき先生の幼少時代と同じような子供で、走る素質などこれっぽっちもありませんでした。

そんな私が今、毎日のように走ることを続けているのは、間違いなく幼稚園時代二年目の経験があったからだと思います。

集団行動が全くダメでも、幼稚園に通い続けることができたように、走ることが全くダメでも続けているうちに、フルマラソンをそれなりのタイムで走れるようになってしまったのです。

 

みやすのんき先生が、月刊ランナーズの4月号で

 

みなさんも欠点を数え上げて言い訳を探すより、長所を伸ばしましょう。武器を探しましょう。短所がない人もいませんが、長所がない人もいません。

 

と書かれていました。

 

私の数少ない長所の一つは

 

「怪我をしないで続けること」

 

です。

 

野球で言えば、私は松井のようにボールを遠くに飛ばす才能も、イチローのようにヒットをたくさん打つ才能もありませんが、衣笠のようにやり続けることで活路を見い出していきたいと思います。

 

ここまでご清聴ありがとうございました。

 

さようなら。