ゴシラン

走ることについて語ります

2020年サロマ湖100kmウルトラマラソン&北オホーツク100kmマラソンは中止になりました

今はただただ「生きのびる」ことが最優先なので、もうマラソン大会の中止ぐらいでは何の感情もわきません。

 

saromanblue.jp

 

www.north100.jp

 

私は去年「100kmウルトラデビュー」として、サロマと北オホーツクの2本を走ったのですが、「限界を超えた先にあるもの」が見えたような気がして、フルマラソン以上に奥の深い世界だなと思いました。

60〜80kmぐらいまでは、ただただひたすら辛く「もう限界だ。こんなの100km持つわけない!」などとネガティブな考えに支配されていました。

ところが、なぜか80kmを過ぎたぐらいから「すーっと抜けた」感じがして、スピード自体は全く上がらないのですが、なぜか「あ、このまま20km楽勝で走れる」って気分になったのですよね。

特にサロマでは、ワッカのお花畑が見えた瞬間、なぜか「三途の川を渡るときって、こんな感じなんだろうか?」という気分になり、「ワッカまでの辛さは、これを味わうための前座だ。これを経験するために私は生きてきたのかもしれない」と悟りを開いているのか、臨死体験を味わっているのかよくわからない恍惚とした時間を過ごしていたのでありました。

ぶっちゃけ、サブ10とかの記録云々よりも、80km過ぎの「すーっと抜けた感」が病みつきになり、このまま「ウルトラ変態道」にハマってしまうのではないかと、麻薬のような怖さを感じた2回の100kmウルトラ経験でした。

 

 

2月にサロマに申し込んだときは「6月には少なくともコロナ騒ぎは終わっているだろう」と甘いことを考えていましたが、マラソン大会中止の波はどんどん広がっていき、11月のつくばマラソンも早々と中止を決定し、もう来春まではマラソン大会は開催されないんじゃないかって気になっちゃいますね。

 

となると、当分はもう「大会に向けて競技力を上げていこう」という観点ではなく、違う視点から走ることを見直した方がいいのかもしれません。

距離や時間という数字ではなく、「精神的な深さ」みたいなものを追求していくのもありではないかと。

ランニングはヨガや太極拳のような「動く瞑想」なのである。

 

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夜明けと共に体を動かせる喜びを味わいながら、よりシンプルに「ワラーチ」や「裸足ラン」の方向に走り、求道者っぽいランニングスタイルに移行するのもひょっとしたらいいのかもしれません。

大会がないからこそ、大会にとらわれない「オンリーワン」のランニングスタイルを模索していきたいものです。

 

 

んなわけで、かすみがうらでデビューさせようと思った「ヴェイパーフライNEXT%」は一体いつになったら日の目を見るのでしょうか?

(2月に買ったが、まだ足すら入れてない)

というか、もうすでに今週末がかすみがうらの予定だったことも忘れかけている今日このごろなのでありました。

 

さようなら。